ハンス(仮名)の計略
■人魚姫とガンスは、館の庭園にいた。
「やあ、ハンス(仮名)。
ちょうどいい処へ来たね」
ハンス(仮名)が近づくと、ガンスは愛想よく微笑を浮かべた。
「ウェディングドレスの色は何色がいいか、姫さまと話してたんだ。
ぜひ、君の意見も参考にしたいね」
もう結婚式の日取りまで決まっているかのような口ぶりである。
腹の中では、荒縄・亀甲縛りがいいとか思ってるクセに。実に白々しい。
そう思うハンス(仮名)ではあったが、おくびにも出さず、にこやかに答えた。
「ボクは白無垢に角隠しがいいな。
姫さまにきっと、よく似合うと思うよ」
「角隠し…?
聞き捨てならないな。
僕の姫さまを鬼人扱いするのかい?」
人魚姫も眉をひそめる。
「あははっ! 東方の民族衣装のことだよ。
布の冠を被って、白いキモノっていうのを身に纏うんだって。
ウタマーロゥ・グラビアで見たのは、慎ましやかで、とてもエキゾチックだったよ」
「布の冠だって?
なんとまぁ、貧乏くさい…。
そう思いませんか? 人魚姫?」
「そ、そうですわね…。
でも、どんなものか、少しだけ興味はあります」
「やれやれ…。お姫さまの気まぐれにも困ったものだね。
では今度、そのウタマーロゥを取り寄せてきますよ。
姫さまのために」
ウタマーロゥといえば、エロ画集なのであるが…。
姫さまが見たら、ガンスにどんな反応をするか、とても見物である。
ハンス(仮名)はクスクスと笑いがこみあげた。
「それはいいけど、ガンス?
紋章は手にいれたの?」
「紋章?」「ハンス(仮名)!」
ガンスと人魚姫は同時に声を発した。
人魚姫のただならぬ声に、膝の上の飛び猫がびっくり飛び起きた。
「あれ? 姫さま、話してなかったの?
人魚の紋章を手に入れなきゃ、姫さまとは結婚できないんだよ?」
「ハンス(仮名)、お止めなさい」
「ホラ、ボクはもうこんなに集めた」
人魚姫の咎めも気にせず、ハンス(仮名)は着衣をはだけた。
ガンスはその首筋の紋章を見て、ハッと顔色が変わった。
「あの紋章に、そんな意味が…くぅ…」
蚊が呟くような小さな声ではあったが、ハンス(仮名)にはしっかりと聞き取れた。
「ハンス(仮名)、わたくしのお客様の前で失礼ですよ?
お下がりなさい!」
人魚姫が睨み、膝の飛び猫までが毛を逆立てている。
ガンスは深刻な面持ちで人魚姫に向き直った。
「姫さま、いまハンス(仮名)がいったことは本当なのですか?
人魚の紋章を集めさせているというのは?」
「え、ええ…。
でもガンス、あなたはそんなことせずとも…」
「いいえ。僕も婚約者候補のひとり。
ハンス(仮名)が集めているのなら、僕も集めねばなりません。
そして紋章を手に入れた暁には、晴れて婚約者と認めていただけますね?」
「ええ…でも、ガンス……」
「なんのご心配もめさるな。
不肖ガンス、人魚姫さまのためなら、火中の栗でも拾って差し上げましょう」
ガンスはキラリと前歯を光らせる。
「たとえこの身が、業火に焼かれようともっ!」
業火に焼かれるとは…己の罪を白状しているようなものである。
「では、急用を思い出した故、今日はこれにて失礼いたします。
吉報をお待ちください、人魚姫さま」
そう一礼すると、人魚姫の返事も待たず、ガンスは急ぎ足で玉室を後にした。
「ハンス(仮名)、どういうおつもりですの?」
人魚姫の目は実に険しいものであった。
「ボクはただ、姫さまを思って…」
「言い訳は聞きたくありませんっ!」
問いただした本人は、ピシャリと切り捨てた。
しかし、紋章のことはごく限られた者しか知らない、極秘中の極秘。
軽々しく口にしたハンス(仮名)への怒りは、理解できようものである。
「わたくしは“眠り”ます」
取りつく島もなく人魚姫は目を瞑り、ハンス(仮名)はヤレヤレ…と頭を掻いた。
また姫さまを怒らせてしまったか。
しかし、ガンスの仮面を剥がすためにはいたしかたない。
勝負はこれからである。
■りりんに体を洗われ、ハンス(仮名)は泡だらけとなっていた。
「ねぇ、りりんは、ガンスと姫さまが結婚したら、どうする?」
りりんの手が、ピタリと止まる。
「それ、冗談でしょ?」
「だったらいいんだけど……。
実は、ガンスにいっちゃったんだ。
アクアの紋章を取れたら、姫さまと婚約できるって」
「なんでそんなこといったの?!」
ギュッと握られ、ハンス(仮名)は堪らず悲鳴をあげた。
「イタタッ!! ゴメンよ!
でもしょうがなかったんだ。
ガンスの正体をいっても、姫さまや飛び猫は信じてくれないから…」
「そういうことをいってるんじゃないのよ、ハンス(仮名)。
いい? アクアはモノじゃないのよ?
わたしの紋章、返してもらおうかしら」
「じゃ、またりりんと、えっちできるね」
「あのねぇ、ハンス(仮名)――」
「わかってるよ、りりん。
ボクは、アクアの正銘は知らない。
そのことは、アクアの意志にゆだねようと思ってるんだ。
アクアがガンスに教えるなら、しょうがないと思ってるよ」
りりんは、グッと眉根を寄せた。
「でも鍵は貸さないわよ」
「りりんも、姫さまとガンスの結婚式なんて、見たくないでしょ?」
「……」
りりんは諦めたような溜め息をついた。
「今回だけよ、鍵を貸すのは。
御祖父さまたちには、わたしからうまくいっておくわ」
「ありがとう、りりん。
りりんならきっとわかってくれると思ってた」
「もう。調子いいんだから…。
事が済んだらちゃんと返すのよ?
合い鍵もダメよ?」
そういってりりんは、湯殿を出ようと背中を向けた。
「ねぇ、まだ洗うの途中だよ?」
「後は自分でやんなさいッ!」
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