瑠歌と人魚姫
■ハンス(仮名)はげっそりであった。
飛び猫・ニーヤに執拗に耳を舐め続けれ、ハンス(仮名)はまるで、生気を吸い取られた気分。
「ああ、怖かった…」
「あんたがわるいのよ、あんたがッ!
あたしと姫さまは、感応しやすいんだからね!」
「だからって、あんなこと……想定外だよ…」
「だから、止めたでしょッ!!」
口げんかをしながら、ハンス(仮名)とニーヤは入り江へ着いた。
ハンス(仮名)たちを見つけた瑠歌が、浜辺へ寄ってくる。
「あら。見つけちゃったのね、“白衣の天使”。
せっかくお坊さんの手配しといたのに、残念だわん〜」
「お坊さん?」
「見つかると思ってなかったからだわよ。
もーほーさん、見れたでしょ?」
「……その話しはしないで」
ウンザリのハンス(仮名)を見て、瑠歌はケケケッと底意地の悪い笑い声をあげた。
「ねぇ、瑠歌? “白衣の天使”ってなんなの?
ただの看護服じゃないみたいだけど…」
ハンス(仮名)の手から“白衣の天使”が浮かび上がり、瑠歌の真上へユラユラと漂う。
おそらくは、瑠歌が魔法かなにかで引き寄せたのであろう。
「これはタダの看護服じゃないんだわよ。
チン・ナイ・ゲーという、とても献身的な伝説の看護婦が着てたものなの」
「チン・ナイ・ゲー……」
なんとも、背筋に寒いものが走る名前である…。
「これを着た者は、“なんでもしてあげちゃいたい〜”という欲望に駆られる、それはそれはおそろしいアイテムなんだわよん…」
「た、たしかに、おそろしかった……」
ハンス(仮名)の呟きに、ニーヤはポッと赤くなった。
「でも…。
アタシのような、偉大な魔術師が着ると、あ〜ら不思議〜♪」
瑠歌はいったん海に潜ると、宙に飛び上がって“白衣の天使”をくぐり着た。
ぼわん。
「どんなビョーキも、とたんに治せちゃうンだわね〜♪」
立ち上った白い煙から、看護婦姿の小さな女の子が現れた。
年の頃はスフィアよりも幼いくらいである。
ハンス(仮名)は女の子を指さし、目をパチクリ。
「……だれ?」
看護婦姿の女の子は、ハンス(仮名)のスネを思いっきり蹴りあげた。
「イタッ!」
スネを抱えるハンス(仮名)の横で、ニーヤが溜め息をつく。
「瑠歌よ」
「瑠歌?!」
「そうよ、瑠歌ちゃん。
忘れちゃったのん〜?」
イルカから人になった瑠歌は、ニヒヒっと意地の悪い微笑を浮かべた。
■人魚姫は“封印の眠り”に入っていた。
二人と一匹は、人魚姫の玉室へ来ていた。
ハンス(仮名)のビョーキを治す前に、瑠歌が人魚姫に会いたがったのである。
「ちょっと、席をはずしてくれるん」
瑠歌がそういうと、飛び猫はピクンと両耳を立てた。
「にゃあん〜っ」
「あ、ちょっと、待ってよっ!
飛び猫ったらぁ〜!」
走り去る飛び猫を追い、ハンス(仮名)は慌てて玉室から出ていった。
これで玉室にいるのは、人魚姫と瑠歌のふたりっきりである。
「さて」
玉室を見回してから、瑠歌は口を開いた。
「姫さま、聞いてるんでしょん?
今の状態なら、ちょっとだけでも“封印”を解けるはずよん〜」
人魚姫の眉がピクリと動いた。
そして、ゆっくりと瞼を開き、宝石のような瞳を見せる。
「あん! 姫さまん〜♪ 会いたかったわん〜♪」
喜々とした瑠歌が、親しげに人魚姫に抱きつく。
しかし人魚姫は、その抱擁に応えようともしなかった。
「なにをしに来たのですか、瑠歌?」
「あんもう、冷たいんだからン〜。
決まってるじゃないん」
瑠歌はニッコリすると、人魚姫に唇を近づける。
「……!」
人魚姫はギュッと目を瞑り、顔を背けた。
「くふふ〜。あいかわらずウブねん〜。
好きなの? あの、ぼうやのこと」
「……」
ふいの問いに、人魚姫の頬がさくら色に染まる。
「そうなんだ、やっぱり…」
「…ち、違います……」
瑠歌はニヒヒっと、底意地の悪い微笑を浮かべた。
「自力で“封印”を解けるようになるんだもん。
よっぽどなのねん。
どこがいいのん? あんな莫迦ッ!」
「……あなたには、わからないことです。
だから300才となっても、そのような姿を好んでいるのでしょう?」
瑠歌はあからさまにムッとなった。
「そうよ。わかりたくもないね。
欲望のために、アタシたちを狩る男たちなんて!!」
「世の殿方は、そのような下賤ばかりではありません」
「アイツがそうだっていうの?
300人も子供がいる、アイツが?
あははッ! おっかしい〜〜〜っ!」
ケラケラと莫迦笑いをひとしきり。
「アイツこそ、欲望の塊じゃないのかい?」
人魚姫は溜め息をついた。
「……有名なのですね…」
200人の妻と100人の妾、300人からの子供を持つ男。
その放蕩のせいで、国の財政を破綻させ、一国を売り飛ばした男。
それは否定しようのない事実。
そして人魚姫自身が持つ、ハンス(仮名)への不審の壁である。
しかし反面、知れば知るほど、ハンス(仮名)は世間がいうほどの女ったらしとも、極悪人とも思えなかった。
あけすけで愚直な極楽とんぼ。しかし何にも前向きで素直な明るい少年。
ハンス(仮名)を庇えない自分が、人魚姫はとても歯がゆかった…。
「フン!
アイツはあのまま狂い死にしたほうが、世のため、アタシたち人魚のためだと、思わないかい?」
ハッと顔をあげ、人魚姫は瑠歌を見つめた。
「約束を破る気ですか?」
「姫さまの返答次第」
ニヒヒっと瑠歌は笑みを浮かべた。
「だ・か・ら。
アタシの、可愛いお人形さんになってぇん〜♪」
「それはお断りしたはずです。
忘れたのですか?」
人魚姫は、グッと瑠歌を睨みつけた。
「わたくしにした“封印”のことも」
「だってぇん〜。
汚らわしい男どもに取られるの、イヤだったんだもん〜」
「そのことは、……少しは感謝しています。
正銘を知られることもなく、無事でいられるのですから…」
怪我の功名というべきか。
“封印の眠り”の貢献は、否定できないことである。
「いやん、感謝なんてん〜。
姫さまがソノ気なら、今すぐ“封印”を解いてもいいのよん〜?」
「ハンス(仮名)の命を救って下さい」
「……」
人魚姫と瑠歌の視線がぶつかる。
言葉もない静寂が続き、やがてひとつの声がそれをやぶった。
「あんな、莫迦でマヌケな女ったらしでも、死んだら泣く人はいるのよ。
あのウスラぼけの、300人の子供たちがそうかもしれないし――」
いつのまにやら、飛び猫が後ろに立っていた。
「あたしも、その一人よ」
飛び猫を睨む瑠歌は、突然、ハッとその眉をあげた。
「思い出した。
おまえ、あのときにいた…」
瑠歌が呟くと同時に、息を切らせたハンス(仮名)が玉室へ入ってきた。
「まってよ、飛び猫……。
…もう、……走れないよ……」
ゼイゼイ、ヘトヘトのハンス(仮名)を見て、人魚姫はなにごともなかったように笑った。
「うふふ。ずっと、後を追っていたの?
飛び猫に勝てる人なんていなくてよ、ハンス(仮名)」
「にゃあ」
表彰台に飛びのるように、飛び猫は人魚姫の膝へ上がった。
人魚姫がその頭を撫でると、飛び猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
「もう、話しは終わったの?」
一息ついたハンス(仮名)に、人魚姫がニコリと微笑む。
「はい。
ハンス(仮名)のお陰で、久しぶりに楽しいひとときを過ごせましたわ」
「いやぁ、ボクのお陰なんて…そんなぁ……」
ぐねぐね、ダラしなく、ハンス(仮名)が照れる。
人魚姫はハンス(仮名)への微笑を、瑠歌へ向けた。
「瑠歌。約束を、はたしてくださいますね?」
瑠歌がブスッと、口を尖らせる。
「ぶぅ……わかってるわよん。
行くわよん、ハンス(仮名)」
「う、うん」
踵を返す瑠歌に、人魚姫が再び声をかける。
「瑠歌、信じてますよ」
「……コイツとは関係なしに、解いてやってもいいのよん?」
「ありがとう、瑠歌。でも……。
わたくしはしばらく、このままがいいのです」
人魚姫の微笑は、どことなく幸せそうであった。
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