傷ついた背中
■飛び猫とハンス(仮名)は、入り江へ向かっていた。
「ウソばっかりッ!!
なんで、サド王子がガンスなのよッ!!」
飛び猫・ニーヤは憤慨していった。
「ヤキがまわったわね、アンタも。
ウソつくなら、もっとマシなウソつきなさいよ」
「ウソじゃないよ。
だから、証拠を見せるっていってるのに」
「はい、はい。
しょうがないから、付き合ってあげるわ。
どうせ待ち伏せしたって、ガンスは来やしないわよ…。
どうしたの…?」
浜辺へ出ると、ハンス(仮名)の足がピタリと止まった。
ついで駆け足となり、ある一点で片膝をついた。
「足跡がある……」
「そうね。これ、人と人魚のね。
あの岩影に向かってるみたいだけど……まさかッ?!」
「先を越されたんだ! 急がなきゃッ!!」
■岩陰に鞭を持ったガンス。その傍らに、アクアがいた。
跪いた背中にガンスは容赦なく鞭を奮い、その度にアクアは痛々しい悲鳴を上げていた。
「いい加減に正銘を教えろ、アクア」
ビシッ!! と、鞭が紋章のある背中を打ち据える。
「ウッ!」
引き結んだ唇から、苦渋の呻き。
全身に玉のような脂汗が浮かび、打ち据える鞭に飛び散る。
もう何時間そうしているのであろう。
背中には幾筋もの新しい傷があり、腫れ染まった紋章は惨めとしかいいようがない。
「相変わらず、いい啼き声だ…アクア…。
放り出したのを後悔しているぞ…クックック…」
ガンスは、人魚姫の前と打って変わって、冷酷ぞんざい。
「アぅッ! くうっッ! あく!」
アクアはひたすらに痛みを堪える。
変わってしまったやさしい王子を、悲しみこそすれ、呪うことはない。
その原因は自分にあり、当然の罰として、鞭の戒めに涙を滲ませていた。
しかし健気さも度が過ぎると、滑稽に転ずる。
ことにガンスのような男には、快楽の種でしかない。
「アくッ! ハぅッ! ……ハァ…あぐぅっ!!」
苦しみ悶えるアクアの声に、ガンスの目は喜々とした光りを帯びた。
「ククク…。
あの姫さまも、さぞかし堪らん声をあげるだろうなぁ…」
ガンスは歪んだ微笑の顎から汗を拭う。
「だが、心配することはないぞ。
人魚姫を手に入れた後でも、ちゃんとおまえを可愛がってやるからな…」
そういうとガンスは、鞭の柄で憔悴しきったアクアを見上げさせた。
「だから……正銘を教えるんだ、アクア」
「ガンスッ! いい加減にしろッ!」
突然現れたハンス(仮名)たちに、ガンスは狼狽えた。
「ハンス(仮名)ッ?! なぜココに……」
キッとガンスが、アクアを睨む。
「アクアは関係ないわよ。
あなたがそんなことする人だとは、思わなかったわ」
飛び猫が冷たい視線を向けていた。
人魚姫の腹心である、飛び猫に見られたのは非常にマズイ…。
ガンスは焦りながらも、偽りの仮面を取り繕った。
「ご、誤解ですよ。
こうしないと、感じないと、この女がいうものですから」
「そうなの? アクア?」
ハンス(仮名)はアクアを庇うように、ガンスとの間に入った。
「…………」
アクアは何もいわず、ただコクンと頷いた。
「そら、ごらんなさい。
コイツはそーゆーシュミの、ヘンタイ人魚なんですよ」
ガンスは大げさな溜め息をつき、肩をすくめた。
「わかっただろう、ハンス(仮名)?
早くそこをどけっ!」
背を向けるハンス(仮名)は、ガンスの命令など聞く気もない。
「アクア、こんなのイヤなんでしょ?
ツライっていってたじゃない…」
「……王子さまがいいのなら、わたしはいいの」
「この莫迦もの!
それでは、僕が望んだみたいではないかッ!!」
ガンスはビシャリと鞭を鳴らした。
「忘れたのか?!
僕がどんなに苦しんだのかをっ!!」
「海綿体断裂、および恥骨骨折。
それもウソだろ?
そういってダマせば、アクアは大人しく従うとでも思ったんだろ?」
ハンス(仮名)の言葉に、アクアはハッとガンスへ目を向けた。
「そうなの…? 王子さま…?」
「し、失礼なッ!!
あんな苦痛をウソよばわりされる謂われはないぞッ!!」
ガンスは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「医者や医術師たちに股間を曝け出し、どんな恥辱と苦悶を受けたか…。
貴様らにはわかるまいっ!
治療とはいえ、中年の脂ぎった男に、自分のおちんぽを摩られる、あの堪えられない苦悶がっ!!」
それは血涙を流さんばかりの、悲痛な叫びであった…。
「……そ、それは本当だったんだな」
ほんの一瞬、ハンス(仮名)はガンスに同情を覚えた。
「でも自業自得だろ。
大方、前戯なしで痛がる処女を、見たかっただけだろ?」
「だ、黙れッ!」
いうと同時に、ガンスはハンス(仮名)を、思いっきり鞭で打ちすえた。
「アグッ!」
「ハンス(仮名)!!」
ハンス(仮名)の頬に赤い筋が作られると、飛び猫・ニーヤは表情を一変させた。
「もう、怒ったッ!」
真っ赤になったニーヤは、その鋭い牙と爪を、ガンスの背に突きたてる。
「ぐあぁぁぁ〜〜〜っ!!」
ガンスは悲鳴を上げて、飛び上がった。
「は、放せっ!
放せ、この化け猫めがっ!!」
なんとか痛みの根源を振り払おうとするが、飛び猫は頑として放そうとしない。
いや、放さないどころか、その牙は喰い込む一方である。
半ば半狂乱となったガンスは、飛び猫を背負ったまま、どこかへ走り去ってしまった。
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