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怖くない怪談

@右巻きソフトウェア



怪談「いぬ」


 ボクは宅配のバイトをしている。
 あの、猫のマークで有名なところだ。
 そのせいではないだろうけど、不可思議な体験をすることが多い。
 この話は、その中のひとつ。

 ボクは届け物を抱えて、玄関の呼び鈴を押した。
 そこは、犬塚さんの家。
 初めて伺う家だった。
「は〜い、どうぞ〜」
 ほどなく、中から女の人の声。
「こんにちは〜。○○○運輸です〜」
 と、玄関内に入ると。
 そこには判子をくわえた犬がいた。
 ピンク色のエプロンをした、マルチーズだ。
 他に人の姿はなかった。
「えーと…」
 ボクが戸惑っていると、マルチーズは手招きするように首を振った。
 ココに置いて、とでもいってるみたいだ。
 ボクが届け物を置くと、マルチーズは受け取り票に判子を押した。
 相手が犬でなければ、フツーのやりとりと変わりはない。
「あ、ありがとうございました…」
 ボクはいつものように、頭を下げた。
 犬にするのもヘンだけど。お客さんだからね。
 それにしても、よく手懐けられてるなぁ…。
 ボクは感心しながら、犬塚さんの家を後にした。

 別の日に再び、犬塚さんの家に届け物があった。
 呼び鈴を押すと、
「はい。どうぞ」
 中から、落ち着いた感じの男性の声。
 玄関へ入ると、大きなセント・バーナードが判子をくわえてた。
 正直、尻込みしちゃったけど、セント・バーナードはおとなしそうだった。
 ボクはマルチーズの時と同じように、届け物を置いた。
 セント・バーナードもマルチーズ同様、器用に受け取り票へ判子を押した。
「ありがとうございました」
 頭を下げてドアを出ると、立ち去り際に話し声が聞こえた。
「どうでした?」
「ふむ。なかなか、おもしろいものだな」
 マルチーズの時の女の人と、さっき男性の声だった。

 そしてまた別の日。
「は〜い」
 ちょっと奥まったところから、聞き覚えのある女の人の声が聞こえた。
「どうぞ〜」
 続けてそう聞こえたので、ボクがドアを開けると、ちょうど二匹の小犬が廊下を走って出てきた。
 双子みたいなチワワの一方が、判子を口にくわえてた。
 届け物を置いて、判子をもらい。
 二匹のチワワは、ボクがドアを開ける前に、部屋の奥へと元気よく走って消えた。
 そして奥から、
「おかーさんできたー」
 って、はしゃぐ、子供の声…。
 …って、ホントに犬の家族なのかっ?!

 ボクは犬塚さんへの届け物が、だんだん楽しみになっていた。
 マルチーズのお母さん。
 セント・バーナードのお父さん。
 チワワの双子の子供。
 テリアのおばあさんがいることもわかった。
 ホントに犬の家族なのかは別にして、“判子を押す”芸を見るのはとても楽しい。
 今日はダレが出てくるんだろ?
 ボクはワクワクした気持ちで、犬塚さん宅の呼び鈴を押した。
「おう。入れよ」
 ぶっきらぼうな、若い男の声。
 ドアを開けた玄関には、コワもてのボクサー犬がいた。
 鎖なんかをぶら下げ、耳にピアスまでして、チャラチャラと飾りたててる。
 まるでパンクロッカーだな…。
「バウッ!!」
「ワッ!」
 いきなり大きな声で吠えられ、ボクは飛び上がってしまった。
 実をいうと、ボクは犬が苦手なんだ。
 会社のマークのせいなのか、大抵、吠えられてばかり。
 しかも、いま目の前にいるのは、体つきの大きいボクサー犬。
 悲鳴をあげるのも無理ない。
「ウゥゥゥ…」
 いかにも不機嫌そうに、ボクサー犬は身体を震わせた。
 口にはずっとくわえたままの判子。
 ボクはコワゴワ、届け物を置いて、判子をもらうとそそくさと玄関から飛び出した。
「あ、ありがとうございましたっ!」
 ドアが閉まって、ホッと胸に手を当てると、心臓がバクバクいってた。
「ぶわっはっはっ!
 おもしれ〜〜〜〜〜っ!」
 ドアの向こうから、転げ回るみたいな、若い男の声が聞こえてきた。
「アイツ、マジ、飛び上がってんのっ!
 マジ、マンガみてぇ〜っ!」
「キャハハッ!
 アニキってば、シュミわるぅ〜〜」
 なんて、心底、愉快そうな兄妹の会話。
 ボクサーの兄に、プードルの妹ってトコかな…。
 頭のわるそうな兄妹だな…。
 なんて、悔し紛れにボクは思った。

 そんなことがあった次の日。
 ボクはまた、犬塚さん宅へ行かなくてはならなくなった。
 もちろん、届け物で。
 昨日の今日だからね。
 また吠えられるんじゃないかと思うと、足が重い。
 仕事とはいえ、行きたくないね…。

 ボクは他の届け物を先にして、犬塚さんへは最後に行くことにした。
 晴れない気持ちで呼び鈴を押すと、
「はい。どうぞ」
 と、聞いたことのない声が返事をした。
 ボクはちょっとホッとした。
 またパンク・ボクサーだったら、イヤだからね。
「こんにちは〜。○○○運輸です〜」
 ドアを開けて入ると、宙に浮いた印鑑だけがあった。
 そう。そこには人も犬も…

< 「いぬ」FIN >



 いつのころからだろう?
 届け先に、犬の家が増えてきた気がする…。
 街角でも、飼い主のない犬が、よく散歩しているのを見かけるようになった。
 というか、犬を見かけないことなんて、ないみたいだ。
 そんなある日。
 いつものように台車で配送をしていると、一枚のポスターが目についた。
「よくできたコラだなぁ〜」
 思わず吹き出しちゃったよ。
 なんの広告だかわからないけど、犬が背広を着てて、まるで選挙ポスターみたいだった。
「われわれ犬も、税金を払っている市民なのですっ!
 清き一票で、世界を変えましょうっ!」
 選挙カーのアナウンスが、風にのって聞こえた。
 そういえば、この街に住む人間はもう…

< 「いぬ」FIN >



 なんだか信じられないけど。
 犬の市長が誕生して、国会議員まで現れてた。
 それなのに、テレビの向こう側はひどく平静。
 まるでそれが当たり前の世界みたいだ。
 というか…。
 ボクも会社の人たちも、犬しかいない街に馴れすぎてた。
 トンでもない事件のハズなのに、あまり驚いていなかった。
 そしてしばらくして。
 ボクのバイト先は、移転することになった。
 “市民団体”とやらから、抗議がきたらしい。
 会社のマークが、街にふさわしくないとかなんとか…。
 会社側はそれをすんなり受け入れたそうだ。
 業績も悪化してたらしいしね。
 犬の街に猫のマークじゃ、それも仕方ない。
 ちなみに移転した後には、犬のマークの運送会社が入居するらしいよ。
 そんな感じで。街は住人どころか、働く人もいなくなっていった。
 もちろん、例外もあるけどね。
 警官なんかがそうで、“名誉市民”と呼ばれれて、首輪の着用が義務づけられた。
 なるほど。そういえばあいつらは、権力の…

< 「いぬ」FIN >

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※.この話はフィクションです。
 実在する団体・個人に一切関係はありません。