人魚姫との約束
■ハンス(仮名)は猫の先導で、廊下を歩いていた。
姫さまへ婚約の話をしに行くのである。
ブスッと黙ったままの猫。
あとをついて歩くハンス(仮名)。
いくら猫といえど、相手がしゃべれる以上、黙ったままというのは、なんとも気まずい。
ハンス(仮名)は話しかけてみることにした。
「ねぇ、姫さまってどんな人?」
「呆れた。
アンタ、相手のことも知らないで、婚約しようとしてたの?」
この時代、初夜が初顔合わせ、なんてことは珍しくない。
猫のいってることは、“女ったらし”への当てつけである。
しかし、極楽とんぼのハンス(仮名)には、そんな高等会話は成り立たないらしい。
「ひと目惚れだからね〜。
教えてくれるとありがたいなぁ〜」
「あっそ」
猫はハンス(仮名)を一瞥もせずに答えた。
「……」
「……」
「ねぇ。ああいうこと、よくあるの?」
“ああいうこと”とは、先程の誘拐未遂事件のことである。
「タマにね」
「キミ、相手を知ってるみたいだったね?」
「まぁね」
「……」
「……」
なんとも会話を続けにくい…。
「えーと。どういうヤツなの?」
「人魚解放同盟とかいうヤツラよ」
「人魚解放同盟?」
「お花畑集団よ」
「お花畑…」
生花を作ってる農業団体のことであろうか?
にしてはおかしな団体名である。
「姫さまを取り戻せば、人魚たちが解放されると思ってるの。
そんな簡単なコトじゃないのに…」
なにやら複雑な事情があるようである。
「アンタは仲間じゃなかったのね」
やっと猫から話が出た。
「ボクは聞きたいことがあっただけだよ」
「聞きたいこと?」
「姫さまに会ったらね」
「フンッ!」
ニッコリするハンス(仮名)に猫は鼻を鳴らし、再び沈黙の道行となった。
「声がかかるまで、そこで待ってなさい」
そういうと翼のある猫は、廊下の窓から外へ出ていった。
姫さまの部屋へは、窓から窓へ出入りしているのだろう。
しばらくすると、扉の向こう側から声が聞こえた。
「お入りください」
それは物静かで、淑やかな公女らしい声だった。
ハンス(仮名)はノックしてから、目の前の扉を開けた。
■人魚姫は、端然と椅子に腰掛けていた。
ランプの灯に煌めく宝飾品とティアラ。
光沢のある真っ白な、凝った仕立てのドレス。
長い裾から覗く足ヒレがなければ、人間の王女と見間違えんばかりの物腰である。
昼間とちがって、その両の瞼は開かれ、ハンス(仮名)にまっすぐ向けられていた。
初めて見るその瞳の色は、海の青さ、そのもの。
人魚の中には、見たものを石に変える者がいるというが、それがこの瞳なのだろうか…。
ハンス(仮名)は一礼をするのも忘れ、ぼうっと立ち尽くしてしまった。
「飛び猫から話は聞きました。
まずは礼を述べなくてはいけませんか?」
人魚姫から声がかかると、ハンス(仮名)はようやっと自分を取り戻した。
「お礼って…?
ああ、いいよ。気にしなくて」
誘拐未遂から助けたことをいってるのだろう。
ハンス(仮名)はそう思ったのだが…。
実のところ、人魚姫は遠回しに、ハンス(仮名)の一礼を催促しただけだった。
それが証拠に、人魚姫は眉を険しくし、続く口調は冷たいものであった。
「わたくしに聞きたいことがあるとか」
「うん」
「どのようなことでしょう?」
「姫さまなら、知ってるでしょ?
<ミレニアム>への行き方」
<ミレニアム>、それは永遠の桃源。
この世界のどこかにある、人魚の――女しかいない黄金郷。
そこへ往ける者は、征服の力と絶対の富を得るであろう…。
旅する者で知らぬ者はいない、伝説の国である。
ハンス(仮名)がこの街に来た、本当の目的もそれであった。
「あなたもそれが目的でしたか」
人魚姫は落胆の吐息を深くついた。
「姫さまは帰りたくないの?
自分の故郷へ」
“故郷”という言葉に、人魚姫の眉がピクリとした。
「それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」
「姫さまを帰してあげる」
「それだけ?」
「うん。それだけだよ」
「あなたが行きたいのではなくて?」
その言葉には、公女らしからぬ嘲りがあった。
「うん。行ってみたいね!」
人魚姫の目が一段と険しくなった。
「でも姫さまがイヤなら、ボクは行かない」
「その言葉を信じろと?」
「姫さまって、人間不信なの?」
あっけらかんとした言葉に、人魚姫はあからさまにハンス(仮名)を睨んだ。
しばらくそうしたのち、人魚姫は苦々しげに溜め息をついた。
「結局、わたくしは、それだけの存在なのですね…」
「それだけ?」
「わたくしを欲する者は、わたくしではなく、<ミレニアム>を欲しているのです。
わたくしは、ただの地図にしかすぎません」
「ボクはそんな風には――」
「ではなぜ、わたくしを欲するのです?
婚約などといいつつ、<ミレニアム>を手中にしたいだけではないですか?!」
突然の荒らげた声に、ハンス(仮名)はびっくりしてしまった。
人魚姫も自身の声に驚き、顔を赤く俯かせた。
その頬には先程までの気高さはなく、少女らしい恥じらいを浮かべていた。
ハンス(仮名)はその様子に、胸をキュンと鷲掴みにされた。
恥じらう頬をよくよく見れば、それはハンス(仮名)と同い年くらいのものである。
胸の膨らみも、女性としてはまだまだ足りない幼さ…。
てっきり年上と思っていたハンス(仮名)には、少々の驚きであった。
人魚姫の落ち着いた物腰は、そう思わせるに十分であったし。
なにより装飾品やドレスが、それを十二分に演出していた。
しかし、それは虚飾の拘束具。
華美なドレスを纏っていては、地上どころか、水の中でもうまくは動けないだろう。
装飾品は闇に光り、道に残れば、追う者の目印になる。
おそらくは、ギルドが着けさせいてるものか…。
捕らわれを打ち消す豪華な装飾品も、今では哀れな拘束具に成り果てる…。
「えっと…」
ハンス(仮名)は人魚姫の気を紛らそうと、一生懸命に言葉を探した。
「姫さまは、ボクとの婚約がイヤなんだと思ってたよ」
「そんなことはいっていません」
「それじゃ、婚約してくれる?」
「そんなこともいっていません」
「姫さまは、ボクをどう思う?」
「…わかりません」
会ったばかりでは答えようもない。
正直な答えは、人魚姫の育ちの良さを物語っていた。
「ボクは姫さまが好きだよ。
広場で見て、ひと目惚れしちゃった」
「あなたのことは…飛び猫から聞いています。
200人の妻と100人の妾、300人からの子供がいると」
「でも、正妻はいないよ」
「うそ!」
「信じて」
人魚姫はハッと息を呑んだ。
ハンス(仮名)のそのまっすぐな眼差しは、お茶らけた色ボケのものとは思えなかった。
「ボクは、姫さまに嘘はつかない」
「わたくしだけを、愛してくださると…?」
「姫さまが、そう望むなら」
人魚姫は迷っていた。
この、年下の少年にしかみえない男を、信じてよいものか…。
「ひとつだけ、聞かせてください…」
戸惑うように、人魚姫は呟いた。
「なぜ、先ほど、“故郷”と…?」
今まで言い寄ってくる連中は、誰もが“国”といっていた。
“人魚姫の国”
それが欲しいと、脂ぎった欲が滲み出ていた。
“故郷”などと、懐かしい響きでいってくれたのは、ハンス(仮名)だけであった。
「ボクは、故郷には帰れない身だから」
ハンス(仮名)はニッコリと笑顔を作った。
「国を売り飛ばした悪党だし、現・国王には疎ましい存在だからね。
いない方が、みんな笑って暮らせるんだ」
こともなげに笑う男の子を、人魚姫はまともに見づらかった。
半分だけ…信じてもよい…。
しかし、まだ躊躇いがあった。
「……ならば、誠意の証を」
「証?」
「ミレニアムへ行くための、七つの紋章を集めてください。
それがわたくしからの条件です」
「うん。わかった。
約束するよ」
“七つの紋章を集める”
それがどんなに困難なことか…。
人魚姫は知り、ハンス(仮名)はなにも知らなかった。
「ニーヤ?」
人魚姫がその名を呼ぶと、翼のある猫が走り寄り、人魚姫の膝に飛びのった。
「目付役として、この飛び猫のニーヤをつけます」
人魚姫に顎を撫でられ、飛び猫・ニーヤはゴロゴロと喉を鳴らした。
猫らしく、姫さまの前では猫を被っているらしい。
「あなたはこの地方には不慣れなようですから。
案内役にも適任でしょう」
少しだけ、人魚姫は和らいだように感じた。
そしてハンス(仮名)はそれだけで、うれしさを感じていた。
「わたくしとの約束、必ず守ってくださいね…」
そう呟きながら、人魚姫は“封印の眠り”に陥った…。
■かくして長いプロローグを経て、
ハンス(仮名)は、故国再興資金と七つの紋章を集める、マーメイド・ハンターになったのである。
ああ…ホントに長いプロローグであった…。
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